日吉神社の三猿
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寺野玉手箱の会
最新作の紙芝居
『東山寺の三尊像と墨書き』
公開します。
紙芝居
『東山寺の三尊像と墨書き』
の原作、山寺薬師三尊像の謎解き物語です。
副読本としてお読みください。
東山寺に有る三尊像は
今から、600年以上も前に製作されました。
奉納寄進したのは『大檀那三善讃阿』です。
越後板倉の地方豪族です。
山寺薬師三尊像の中尊は
病気を癒す薬師如来様です。
医者も薬もなかった時代
多くの民が薬師如来を参拝するようになりました。
そして、この三尊像信仰は、126年間続きました・・・が。
126年後の永正18年
三尊像の持ち主である三善家は
ある日、突然
上越板倉から消えてしまったのです。
三尊像は、一瞬にして主人を無くし
山の中に置き去りにされたのです。
残された三尊像
現在迄守り伝え続けたのは誰なのでしょうか?
それは
薬師堂に最も近い東山寺集落の村人でした。
しかし、三尊像には、次々と、大きな危機が訪れます。
この三尊像を巡る歴史は
今の今まで語る人はいませんでした。
この三尊像の物語は
越後上越板倉地域の歴史の片隅に埋もれて
忘れ去られていたのです。
板倉の深い深い山の中にあった
山寺村民の、知恵と行動力を伴った
『波瀾万丈』
のお話しなのです。
先日、山寺薬師例大祭にお邪魔して
とんでもない貴重な資料
『山寺三千坊調査書』に出会いました
帰宅してから、早速、AIを活用して
この資料の驚くべき内容の解明に取り組みました
東山寺区長さんの家に有った「山寺三千坊調査書」には
明確に『恵信尼こと玉日姫』と書いてありました
つまり、日本歴史の定説では、
『恵信尼と玉日姫は、全くの別人である』
としていたのが
この「山寺三千坊調査書」によると、なんと
『同一人』
となっていたのです
『恵信尼公と玉日姫』の続編です。
もしも『恵信尼公=玉日姫』
だとするならば
多くの学者や東本願寺の教団の主張である
『親鸞聖人は板倉流刑前に玉日姫と結婚し男の子を授かった』
を再検討しなければなりません。
何故ならば
『恵信尼公の子供の人数は6人』
そして『先に生まれたのは女子、小黒女房である』
とする定説が誤りということになるからです。
前回『続 恵信尼公と玉日姫』では
AIの巧みな誘導に引き込まれてしまい
『玉日姫(=恵信尼)は京都で結婚し男子を産んだ』
となってしまいました
勿論、お相手は親鸞聖人です。
まあ
多くの中央の学者の学説がこうなのですから仕方が有りません。
でもねえ
何かしら納得の行かない自分が居るのです。
そこで、勇気を振り絞って、強力無敵なAIに再挑戦です。
果たして
中央の偉い学者たちの学説を崩すことができるのか否か
大ドンデン返しのAIとの格闘劇
果たして、恵信尼は京都時代に結婚したのか、しなかったのか。
親鸞の最初の妻は誰なのか?
そして、恵信尼は、晩年、板倉に戻り、生涯を板倉で過ごしたのか?
京都の貴族の生まれであるならば、京都に戻る筈なのに…。
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